このコロナ禍の中 残念ながらありったけの世界にも波がやってきました。本当に残念でありますが結成当初からのメンバーであり苦楽を供にしてきたバンドの顔でもあったDrのケンジが脱退することになりました。12年間バンドの要として本当に彼がありったけをありったけたらしめたことは間違いありません。本当に残念です。 ただケンジの今後、未来が喜びあふれることを願ってやみません。 現在残されたメンバー2名で今後のことをどうするか話し合っております。 ケンジ在籍時の今までのありったけの世界をあたたかく見守っていただいた皆様にこの場をかりて心より感謝申し上げます。
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2020年05月20日

僕の戯言・・・ケンジ今までサンキュー!!

僕です。ありったけの世界の僕です。

ケンジから脱退の旨が入って数日経ちました。今日ツイッターで報告しました。バンド仲間やらから どうした?というラインなどをいただいておりますが
ケンジが選んだことでありますので僕から特に説明しなくてはいいと思いますが彼なりの苦渋の決断であったことは察してやってください。

僕もやはり引きとめたり打開策等提案しましたがケンジの気持ちは固まっていたし、脱退の旨を伝えてきた時点でもう彼を動かす事はできなかったんだと思います。

正直本当に残念ですしこんな女々しくパソコンに気持ちを文字にしてないとグニャ~となってしまいそうです。作家でもライターでもないのにこうして吐き出していないと本当にグニャ~となってしまいそうなんです笑

それにしてもケンジと知り合ってバンドやって12年間、本当に世話になりましたし、本当に奴の太鼓が好きでした。
まあ12年っていう年月も今振り返ってみると結構な年月ですね。本当。

12年前は自分も37歳で前やってたバンドもやめてしばらくメン募サイトなどをみてセッションしたりCANNON THE CIGARETTEのリーダーに拾ってもらって企画バンドやったり流れでCANNONで歌わせてもらったりしてました。CANNONにいたダイちゃんと音をだしたのもこの頃からですね。

ただ自分でバンドを組みたいたと思っていたところにケンジともう一人のギターの人がメンバー募集しているサイトにぶつかり連絡いれました。
たしか西荻窪のスタジオで初めて音をだしたと思います。ギターの人にはあまり興味がわかずとにかく僕が鳴らしだしたギターにケンジがすぐ飛びつくように絡んできたのを今でもよく覚えています。僕も本当に嬉しくなる太鼓の鳴りでした。

そのあと二人で酒飲んだのも覚えてます。最初の印象は「コイツ、ギャンブラーかな?」って感じでした。目つきも悪いし笑

その後もう一人ベースもいるって事で最初のベースであったノリとも会いました。大阪弁のノリとも音楽の好みなどもあっていて4人で音を鳴らそうなんてバンドができていく過程を踏みつつあった頃 スタジオのキャンセルの支払いの件でもう一人のギターの人が異論を唱えたのですがそれにケンジと
ノリが激高してその彼がバンドになる前のバンドを抜けることになりました。

3人でバンドをやっていくことになって音を重ねえたり曲を持ち寄ったりしました。そんなちょうど12年前の5月にケンジとノリと3人で歌舞伎町に呑みに行きバンド名を決める話になりました。僕は「ありったけ」をつけたいと思っていたのでそれは二人に伝えました。
その後をどうするかを考えながら僕はトイレで小便をしてるときに「世界」と浮かんだのでトイレから戻って二人に言ってありったけの世界と決まりました。そのころからケンジは刺身と酒をよく呑んでました。

それから9月に初めて下北沢の屋根裏でやってとバンドがバンドとしての活動が定まってくる過程を過ごしていました、当時のバンド仲間もでき始めてたし、ベースのノリが知り合いも多くそれなりにお客さんも今よりいたような気がします。

ただだんだんとお互いのプレイであったり、細かいことで衝突することが多くなりました。当時の話をケンジとしたとき 「つまらなかったし辞めたかった」って言ってました。
まあそんなバンドが上手くいくこともなくライブ本番中にステージで口げんかになりだんだんとライブの本数も減り曲も進まないということになり
究極が仲間のバンドの企画に渋ったベースのノリの代わりに当時8FLAGの雄三君にヘルプを頼んでライブを強行しました。

ベースのノリはそれを最後にバンドを辞めました。ケンジとどうしようか?って話をしました。
その時のことは色々ありったけに興味をもっていただいた方にはよく自慢げに話すんですがケンジがそのとき「演歌でもやりますよ!!やりましょうよ!!」って言ってくれたんですよね。本当に嬉しかったです。たしか武蔵境の居酒屋だったかなと思います。

それから雄三君、ダイちゃんとをサポートで迎えケンジと二人で曲を仕上げていきラインブも重ねていきました。
ケンジはダイちゃん雄三君のベースを本当に楽しんでいました。二人の全く違うプレイを嬉しそうに酒のみながら話していました。

その後ダイちゃんが正式にありったけの世界に加入してライブの数もどんどん増えていきました。ケンジの太鼓は本当に評価されたし俺も自慢だったし ケンジの酔っ払う姿に俺もダイちゃんも大笑いでそして色々なバンド仲間からも愛されました。

ケンジの酔っ払いは皆の和みでもありましたが一番被害をこうむったのは現ムスタングサリーのユキ嬢ではないでしょうか?
たいがい新宿JAMでの我々企画の「JAMってありったけ」時のケンジの酔い方は酷かったです。

それでも皆に微笑まれていたのはケンジの人徳ですね。

3人で色々な場所でライブもしたし、色々酒も呑んだし、スタジオも色々変わったし、何よりケンジもこの12年の間で生活も変わったしで
本当に12年間って改めて思い返すと凄い年月だなと思います。

その12年間 月に最低でも7、8回は会ってたわけですからね。思い出すことがこれからもっと色々増えてくると思います。

自分はいつも前をむいて吠えてギター鳴らしてるわけですからライブ時ケンジがどんな表情してるとかわからないのですが2014年に楽器店主催のライブで賞をいただいたことがあったのですがその時の映像がケンジに結構寄りがあってその時ケンジが叩きながら歌ってるのを見たとき驚きと感動を覚えました、最近ではフォトグファーのYUKAさんが撮影してくれるケンジの表情、成りを見るたびいつも自慢げな気持ちになってました。

そして映像デイレクターのオオコバ君が撮影してくれたケンジの寄りの映像なども楽しみの一つでした。

正直女々しくて申し訳ないんだけどケンジがいないってのは本当残念ですし何より本当に理解してくれていたんですね。

12年やってきて新しい曲もどんどんできてきたしその新しい曲に対するケンジ、ダイちゃんの理解力が半端なく
ライブができないこのコロナ禍の現況の中これが明けたらありったけはすぐGO!!してまた調子にのってやめる理由がないバンドが転がっていくもんだとばかり思っていました。

ケンジは本当に苦渋の決断だったと思うし、つらいのはケンジだと思います。

彼は俺みたいに口数も多くないし 彼のツイッターやブログでもその通り一言男なんで もう語ることもないと思う。

でも本当にケンジには感謝しています。面とむかって言えないし今更だし。

バンドから離れてしまうと会うことも少なくなるしケンジはケンジの生活があるからまた会う機会があったら 問いただしてみよう
「実は俺のこと嫌いだったか?」って

あいつ多分悪い目つきで「ですよ」って言うだろうな。

ケンジ在籍時のありったけを応援、支援していただいた皆様ありがとうございました!!
そしてケンジ、ケンジのご家族にご多幸あることを心よりお祈り申し上げます。

まだしばらくはこんな女々しい気分で日々を過ごすと思いますが表立ってこんこと言うのはこれでおしまいにします。
長文本当にすいません。


ケンジ 残念だ!!本当に!!
けどサンキュー!!本当にありがとう!!感謝してる!!


posted by ありったけの世界 at 22:30| 東京 🌁| Comment(0) | 日記(日々随時更新中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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