僕です。ありったけの世界の僕です。
昨日入浴するときお世話になった人の事を考えていました。
湯船に浸かろうとした時その人に俺は随分お世話になってたな〜と
しみじみしながら湯船に浸かる前に一番最初に洗い流すとこが一番自分に自信のある”箇所”と云われるその“箇所”を洗い流しながら笑
湯船に浸かりました。
これは作り話でもなんでもないのですが・・・
その方が昨日亡くなりました。今日のお昼に連絡が入りました。
突然の連絡で驚いたのと同時に共に過ごした時間そしてお世話になったんだとしみじみ実感した時間を思い返していました。
自分が31歳の時に転職して42歳まで10数年お世話になった方でした。
お互いにクセがある者同士よくぶつかりましたし,ケチを付け合ったり笑
でも周りからみたら仲の良い上司部下の関係に見えてたみたいで結構心外だったんですが笑
ただ本当にお世話になった事には間違いなく当時も感謝の気持ちはありました。
入社してしばらくして「仕事なんてきれいごとじゃできね〜お前に薄汚いこともたくさん伝授するし、稼がせてやる!」と
後々諸々大変な事になる事も散々叩き込んでくれました。笑
自分は若い時からロクでもない大人達と仕事をしてきたんで今の職場の上にいる人間達はいずれも正直 甘っちょろいボンボンにしか見えなく
敬う気持ちも全くなく内心いつも鼻で笑ってます。
そうですロクでもない大人達の中にあるロクでもなく愛すべき情緒がそのロクでもない大人達にはありました。
その上司は今の職場にあって数少ないロクでもない大人を感じれる中の一人でした。反抗ばかりしてましたが笑
酒も呑まない煙草も吸わないけど夜中に他所様のお宅に上がり込んででかい声で詩吟を朗々と吠え鳴らしたり
蕎麦屋に行けば江戸っ子なんて非にならないくらいの蕎麦を啜る轟音を店内に響きわたらせて流石の店主も我慢できず注意をうけたり笑
反抗もたくさんしたけど僕が一から教える初めての部下という事もありよく食事や呑みにもつれて行ってくれました。
おでん屋でハジから片っ端全てのメニューを頼んだり、焼き鳥屋で全メニューを食べたり、思い出すとキリがないですね。
そして何より感謝してる事はこの5年くらいは世の中の波に押されて働き改革とかやらで我が職場も否応なしにその波に乗り出しましたが
それまではブラックの上に何重も重なったブラック企業そのものでパワハラなどあたり前、個人の自由などへのカッパみたいな職場にあって
転職早々バンドを組め活動でき、家族との時間も他の社員よりも断然にとれた事は本当にその上司のおかげでした。
その当時はまだありったけの世界ではなかったですが現職場では多分個人の活動などというものは考えられない環境下で自分がそれなりの活動がし続けられてるのは勿論自分の確個たる意思もありましたがその上司のおかげであった事は間違いありませんでした。
ただ本当に色々なトラブルに何度も本当に何度も笑
合いました。
二人で職場の取調室みたいなとこで監禁されたり、ちょいヤバい団体に付け回されたり、此処には書けない本当にロクでもないことがたくさんありました。
本人も最後は酷い職場のクソ野郎な上層部の酷いパワハラ、モラハラにあい続けて半ばヤケになり定年を迎えた時には真っ平ゴメンだ!!と吐き捨てるように去って行きました。
俺も流石にあの酷いパワハラ等に我慢出来ず憤慨して抗議したら捻り潰されました。
送別会も立川で大グチ大会でした。笑
出張行けばトラブルを起こし、良かれと思ってこねくり回した仕事は大損こいて、どうしようもなくなった立ち回りの効かなくなった伝票書類
何度も呼びつけられる監査。
それでも仕事の情熱は本当に熱い方で仕事仲間からシーさんと呼ばれて慕われていました。
転んでも転んでもというより転ばされても転ばされてもという方が正しいかな?
それでも立ち上がる人でした。
娘さんが不登校になって家出したり色々プライベートも大変そうでしたが、本当色々な話を聞かせてもらいましたというより聞かされました笑
シーさんは話すことが好きだったんでしょうね。俺にそんな話ししていいの?みたいな話もたくさん聞きました。
退職後は何度か電話をいただいたりしてたんですが人伝いに俺の仕事にケチをつけてるってことを聞いて自分も
何様だよ!みたいな気分になりかかってきた電話にも出なくなり疎遠になってました。
会社を起こして細々とやってる噂はきいていましたが会うことはないだろうななどと思いながら月日は過ぎていってました。
それが一昨年の人事異動で今の部署に来て数ヶ月した時に
車からこちらに何か言ってるおっさんがいるんで業者の方かと思い「まいど!お世話になってまーす!」などとやり過ごしてたら
「おい!俺だよ!俺!冷たいなー!忘れたのか?」などといってるので近づいてみるとシーさんでした。
何年振りでしたかね。お互いにあったわだかまりも忘れてというか封印して久々長くはなしました。
その時 随分労ってくれるような事やらを言ってくれて こちらもお世話になってた日々の気持ちやら現状の仕事の立ち位置などを話たら
「お前も随分角が取れたなー」なんて言われて照れたのを覚えてます。
景気もいいみたいで白いハイエースに乗り「稼がなきゃなんめーしよ!」なんて相変わらずのベらんベー口調で吠えてました。
それからも時々会っては話をしたり一度は俺が自転車でシーさんの車に並走しながら話したこともありました。
ここ3ヶ月くらいは顔も姿も見てなくて元気にしてるかな?などと時々思ってたところに昨日の風呂場でのあの気持ちからの今日昼頃のシーさん死去の連絡でした。
本人はいたって元気だったらしく夕飯中に少し気分が悪いとトイレに立ち寄りそのまま倒れて帰らぬ人になったとのことでした。
昨日風呂場で感謝の気持ちが湧いたのは何か虫の知らせだったもかな?とも思わずにはいられません。
感謝といっても昨日はシーさんと仕事をと共にしていた時俺はあの人にグズグズだったけど守られていたんだなという感謝の念でもありました。
シーさんはことあるごとに言ってた言葉がありました。「生涯現役!!」でした。
確かに現役のままに生涯を終えましたがその生涯が69歳じゃ若すぎますわ。早すぎですわ。
シーさんは東京の外れの街が生んだ大コメディアンとは苗字も同じの親戚でお寺も同じだから告別式の時は
本人に「あなたには本当にお世話になりました、ロクでもない事がたくさんありすぎて大変でしたが 時々思い出してはクスっとさせてもらいます」と
お別れをしようかと思います。
ご冥福をお祈りします。