ぶっ壊れかけたバンドが再始動します!! お互いに惚れあったメンバー3人にてありったけの世界にてこの混沌とした世の中で もう一度ぶっ放していきます!! クボゾノ、ダイちゃん、ひーさん 3人でブチかましていきやす!!
カテゴリ
リンク集

2021年08月24日

僕の戯言・・・夏の終わりが少し見え始めた

僕です。ありったけの世界の僕です。

すっかりあの灼熱の日々も成りをひそめてそろそろ秋の準備に入ろうかといったような風が吹き始めてる感じがするのは僕だけでしょうか?

まあまだ暑い日々は続くんでしょうがなんとなく自分の中ではあの暑い夏はそろそろ終わりかけかな?と感じています。


今年の夏はこのご時世もあり特にでかけたり夏らしいことをしたというようなことはいないんですが

今年の夏は 僕自身夏の日常、夏という日常を満喫したような気がします。


春に異動になり家の近くの職場になったこともあり一般社会人の方々よりかなり長めの昼休みがある僕はその時間自転車で家に帰ったりしてました。以前の職場ではそんな時間もなかったし中々 真夏の昼間の近所の風景などを見ることなく過ごしてきたので大汗かきながらも自転車をこいでその近所の夏の風景などにしみじみと目をこらしながら かねがね言ってたライブや呑みや旅行、親に会いに行く以外で所沢から出たくないという僕自身の生活の小さな望みをくしくも春から叶えられてるわけです。


自転車で大汗をかいたらトトロの森の付近の道をはしれば本当に素晴らしいマイナスイオンとい名にするにはもったいない森からでているあの神秘のような空気を感じたり、なんてことない川なんだけど柳瀬川の水の流れを眺めたり 青さにまけたような青い空、そこに転がる白い雲と そして風を待っているかのような草花

そして自分達がそうだったように近所が全世界だった子供達がが過ごしている夏休みのあの光景

そして今年は何と言っても裏山にある西武園の花火が毎日のようにあがっています。
仕事の帰り道にコンビニでビールかって緒茶畑でながめたり、自転車はしりながら横目で眺めたり、休日前に自宅のベランダから眺めたりと
西武園の心意気に本当に感謝しています。

そんな風に僕はこの夏を満喫したというより吸い込めと言った方がいいんですかね?

悲しいこともあったり、世の中の混沌、心配事もまだいくつかあったりとする日々だけど
こうして夏を吸い込めたのはなによりだったなと。

9月までまだ花火があがるので市民の特権をふんだんに行使してそして夏の終わりに近づいても 蒸し風呂よりひどいメットライフドームに行って
5年目の大好きな辻監督率いる埼玉西部ライオンズの応援に足しげく通いたいと思います。

今月は予定していたライブが2本も中止になり 勝手に活気づいてるありったけの世界にはもったいない月でしたが
ありったけの世界というバンドは今現在 んなことじゃめげません。

毎週日曜の朝に寝ぼけた街の片隅にある薄汚い雑居ビルの一部屋でで音をぶん鳴らしております。


夏ってやつの終わりが見え始めたとこでちょいとこんなことを描きたかったのです。

なんかBGMはニーナシモンです。よくあう。
posted by ありったけの世界 at 17:33| 東京 ☁| Comment(0) | 日記(日々随時更新中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月15日

僕の戯言・・・我が家に可愛いのがやってきた。

僕です。ありったけの世界の僕です。

十数年ぶりにフルにお盆休みを満喫しています。ただ梅雨に舞い戻ったような雨続きですがそれもおつなもんですとはいえない
被害が全国にひろがっていますが 被害の少ないことを祈ります。

そして今日は終戦から76年、今朝の新聞のコラムでもありましたが敗戦から76年というべきでは?ともありましたが僕にはどちらでもいいです。戦争という馬鹿げた人類が生んだ最悪の馬鹿げたできことがこの日本で76年前に終わったということ そしてそれから日本は76年その行為を行っていないということ 本当にしかと受け止めたいと思います。そしてまだ世界のあちこちで起こってる争い、抗争、紛争、戦争
とにかく戦争をしらないどころか全くしらない世代として 絶対平和!!絶対戦争反対は胸に。

そんな世間ではありますが一昨日我が家に本当に可愛い 可愛い一員が増えました。
鳥ちゃんです、インコです!!セキセイインコです。名前はひまわりのひまちゃんです。もう可愛くて何度も口のなかに入れてます。笑
久しぶりの我が家へインコちゃんがやってきました。


ありったけの世界ももう結成して13年くらいになりますが結成当初のメンバーは僕しかいないですが結成当初の頃 やってたナンバーにはよく小鳥やらインコやらが歌詞に出てきました。

そうなんです。15.6年前からインコを飼っていました。メメというお目目がクリクリの青いセキセイインコででした。本当に可愛いインコでして僕が仕事から帰ってくると鳴きじゃくり飛んできて僕の肩にいつまでもいました。家族には一番世話しないのに一番愛されてる〜などとヤキモチやかれていました笑

俺の頬とか唇とか本当によくチュんチュンしてきてもう帰ってからの毎日の楽しみでした。

そんな日々が続いていたのですが休日に僕の肩から背中にまわったのに気づかずに僕は外に用事を思い出して そのまま出てしまい
そこからはスローモーションですよね、メメが電柱の間を高く飛んでいった光景は未だ忘れません。

ご近所の目も気にせず「めめ〜!!めめ〜!」探しましたが帰ってくることはなく、小学校からかえってきた娘たち、かみさんの落胆も大きく
本当に申し訳なさと後悔とがたまらなくありました。

かみさんや娘たちは 俺を責めることなく 次の日もその次の日もかごを持ち歩いてめめを捜し歩きました。

かみさんはすぐにインコ捜索サイトに書き込みました。やはり自分と同じようにインコを逃してしまう方が多いようでもの凄い数でした。
警察にも届け、警察で言われたのか定かではないんですが、「インコはそんなに遠くには行かないからスーパーに貼紙とか効果ありますよ」と
早速近所のスーパーに貼紙を貼らせていただきました。

すぐに連絡がきて飛んで行きましたが鳥違いでした。連絡がくれた方が僕の落胆ぶりに同情してくれたのか鳥好きの方だったのか玄関先で随分励ましてもらいました。

それからどれくらいの時間が経ったかもう記憶が定かではありませんが かみさんから携帯に連絡がはいり「本当にメメかはわからないけどそっくりだし相手の方も鳥を飼う人ではないみたいだから連れて帰るね」と

もう仕事が終わり次第とんで帰りました。色合い顔 毛並み まさにメメでした。メメであってくれという気持ちもわすれるくらい容姿はまさにメメでした。

でも俺の背中から初めての世界に飛び出し 恐怖におびえ色々潜り抜けて生き延びてきたメメは容姿こそメメでしたがすっかり凶暴になっていました。指など出そうものならものすごい勢いで噛んでくるし そんなメメを眺めながら自分がやってしまった失敗とメメへの申し訳なさが溢れ出しまいました。

それでもメメと信じてまた以前のように鳥かごにいれてという日々でしたがやはりなつくことはなく、メメもこのまま一羽じゃかわいそうだから
もう一羽 飼いだしました、コウチャンというやんちゃ坊主の同じセキセイインコでした。

メメとコウチャンは仲もよくメメは最後まで元のように家族になれることはなかったけど少し弱っていき息をひきとりました。
コウチャンもメメがいなくなったあとしばらくしてから静かに息をひきとりました。

メメとこうちゃんを埋めたところには毎年春になると綺麗なクリスマスローズが咲きます。あの僕になついてた頃のメメを本当によく思い出します。

その間に一度仕事場にオカメインコが迷い込み鳥を皆が怖がってたのもあって僕が手をやるとすぐにのってきてこの子は相当大切に育てられてるなとすぐにわかりました。そして飼い主さんもそうとう心を痛めてるな〜とわかりました。

車で帰るときもそのオカメインコはずっと僕の肩におとなしくのっていました。

メメとこうちゃんの鳥かごはまだおいてあったんですぐに鳥かごへいれて かみさんがすぐにネットで調べてくれたらやはり飼い主さんが必死で捜していました。すぐに連絡をとりオカメインコちゃんをお返しにあがりました。名前はぴーちゃんといいました。

そしてらその飼い主さんが水産加工会社の経営者の方で お礼にといくらやたらこやら,ものすごい高級水産品をたくさんくれて
食べきれないしで会社にもっていったら後輩やらが「インコ長者じゃないすか〜」などと鳥好きの気持ちもわからずに笑
「またインコさがしてきてくださいよ〜」とか「クボゾノさんのことだから焼き鳥にでもしたのかと思いましたよ」などと好き勝手言ってましたが笑

しばらくして鳥かごも処分したりで毎年咲くクリスマスローズの横にある石をみながらメメやこうちゃんを思い出したり 時々いくホームセンターなどでインコなどをみて カミさんや娘たちと 「またインコ飼いたいね〜」などと話していました。

それが先週くらいにカミさんが「インコでもまた飼おうか〜」と言い出したんで 我が家の番長の一言は鶴の一声なんで笑
我が家がインコめがけてまっしぐらな日々にはいり 一昨日 ひまちゃんと出会い 連れてかえりました。

生後まだ一ヶ月で餌も口に運んでやってる状態です。でも本当に可愛くてですね。メロメロです。本当にメロメロです笑

個人のツイッターやめて本当に正解でした。毎日毎日 ひまちゃんをUPするとこでした笑

この夏の長雨があがったらひまちゃんをめめとこうちゃんが眠る庭の片隅のクリスマスローズがあるとこに連れいきましょう。
あっちゃんと鳥かごに入れてですね笑

間違っても肩には乗せていかないようにです。笑9F474F6B-C0A5-47A9-BDF5-D4D6577F942F.jpeg9F474F6B-C0A5-47A9-BDF5-D4D6577F942F.jpeg48BC62CC-A162-498A-9DF5-62F965DCF6EC.jpeg48BC62CC-A162-498A-9DF5-62F965DCF6EC.jpeg48BC62CC-A162-498A-9DF5-62F965DCF6EC.jpeg
posted by ありったけの世界 at 23:51| 東京 🌁| Comment(0) | 日記(日々随時更新中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月12日

僕の戯言・・・オリムピック

僕です。ありったけの世界の僕です。


オリムピックが終わり、明日からプロ野球のペナントレース後半戦が始まり、そして2年ぶりに全国高校野球選手権 甲子園での高校球児たちの熱い夏が昨日より始まりました。

オリムピック、日本のメダルラッシュ、新種目での活躍、世代交代、色々まだ話題はつきませんが僕もサムライジャパンの活躍や色々競技を楽しみましたし、感動したりししました。


今回のオリムピックは世論を二分するほどの開催か否かとギリギリまで開催中も中止の声も響いてたし、とにかく異例ずくめの大会であって歴史に
色々な形での記憶に残る大会だな・・・と

一般論のようなことを描きたいわけではなく。笑


僕自身、7年半前オリムピックの招致、東京オリムピックでの開催が決まったとき嬉しかったし、楽しみにしてました。
ただ開催が決まった瞬間 招致に尽力した人々がテレビに映ったのですが、滝川クリステルはなぜ?となりのおばさんと一瞬ためらうように間があき
抱き合わなかったのだろう?とても気になりました。

妙にあのシーンが僕の記憶に焼きつきました。どうでもいいんですが笑
ただその後あの滝川クリステルとあのおばさんの間の映像はあんまり流れませんでした。本当にどうでもいいことです。笑

そうあのオリムピックが決まってから僕は高度成長期のような日本、ネオ高度成長期みたいなものを期待していたんです。
 ふんずまり気味の仕事にも嫌気がさしていたし、40歳もゆうに過ぎていたしで 楽しみは本当にダイちゃんが加入してなんか勢いがついていたありったけの世界の活動でした。

オリムピック景気の需要があれば 宝の持ち腐れのガテン系資格を活用して建設工事業界に返り咲こうかととも目論んでいました。
就職情報誌なんかもぱらぱらとよくめくり

「まあ俺はいつでも飛び出せるな〜」とたかをくくって会議という名の飲み会、懇親会のただ酒ただ飯におぼれ
すこしづつ変わり行く都心、築地周辺や銀座あたりで千鳥足でいい気になってました。

徐々に変わりいくビル、建築物、街並み、増設されるホテルを見るたび 会社でいやことがあると「あんたらといるのももう少しだけだよアホたれ!!」ってな気分でいました。
そしてどんどん増えていくありったけの世界のライブ活動に没頭して出張では各地方でふんぞり返って、家に帰ると家族と楽しくと
俺はいつでも仕事なんて替えられると

甘かったでした。本当に甘かったでした。建設業界の移り変わりのスピードを甘く見ていました。
そして自分が45歳を過ぎた頃にはもう業界では用済みの年齢に達していたわけです。はなからどこの社にも相手にされずに何度も書き直した辞職願の封筒の白さが少しづつ茶ばんでいきました。

そうこうしているうちに世間は安部政権のクソみたいに歪んだ事件やら国民をなめきった国政のひどさがどんどん露呈されていき
プラス オリムピックのデザイン、建設、諸々の問題もどんどんスキャンダラス的に発覚していき 大丈夫かいな?な気分になっていきました。

復興オリムピックといわれたことにとても反発するかたも多かったようですが僕自身は一向に解決されない、いやますますひどくなる
福島第一原発の汚染水の問題が一番 気になりました。

先のみえない問題の中 反対とは言うことはなかったけど ほんとにこのままやるのかな?と

転職もとっくにあきらめネオ高度成長も夢物語かな?なんて思った頃に今のコロナという全人類をパニックにさせてる感染がはじまりました。

ここ一年のことは本当にオリムピックが反対とか賛成とかではなく 本当にやれるのかな?と
そしてここ直近では 本当にやっちゃうんだ??と

本当にやっちゃったよ!!と

直前になり吹き出てきた 文化芸術方面での人間の問題、僕はコーネリアスのあの小山田のインタビュー記事の出ている雑誌を読みましたし
多分まだあると思います。当時僕は24歳くらいで小山田が26歳くらいだと思うけど、こんなことを朗々とこの年になって語るんだ?
となんだかうすら寒かった記憶があります。音楽もよくしらないけどそのインタビューはとても記憶に残ってます。

ぼくからみたら都会のお坊ちゃまにしかみえなかった音楽の才能豊かな曲がったうすら寒い人という印象でした。今でも変わりません。

ラーメンズの小林は残念でした。結構ラーメンズのコントを次女と好きでよくDVDなんかでみてたもんですから。

ただそれとは関係なく開会式はみれませんでした。

東京でのオリムピックが終わり数日がたったけど本当に泡沫のような感じなのかな〜?

オリムピック開催でも色々問題になった築地から移転した豊洲市場 あそこは昔20数年前の第2回のフジロックが行われた場所。
先日久々 あのときのミッシェルガンエレファントのライブ映像を観ました。僕もあの時あの場所にいてあの人ごみの中の前列にいました。

あの熱狂と空気は本当に凄いものがありました。

2年前まであの市場へもよく行きました。オリムピックにあの歓声と興奮、熱狂はなかったけど20数年前のあの豊洲付近で
今みたいな世の中、今の豊洲有明になってるなんて誰が想像できたでしょうかね?

日本も東京もこれからアフターオリムピックの清算精算で凄惨なことになることは間違いないと思いますけど
僕はできるなら生きている間にもう一度日本で開催されるオリムピックを望んでしまうわけです。

今回のオリムピックがどうこうではなく もう一度日本で行われるオリムピックをと思ってしまいます。

24日からのパラリンピックは車椅子バスケを本当に楽しみにしてます。
できれば生でみたい一番の競技かもしれない。

来年くらいにオリムピック跡地にAKIRAの金田少年みたく立ちたいなと今は思ってます。







posted by ありったけの世界 at 23:29| 東京 🌁| Comment(0) | 日記(日々随時更新中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月09日

僕の戯言・・・重松清と清志郎

僕です。ありったけの世界の僕です。

ここ2年くらい自分の読書量が少なくなったことはずっと気にしていたのですが
まあ理由としては携帯をいじりすぎる、新聞を端から端まで読むことが増えた、コロナ禍になり出張がなくなった、おまけに左遷で異動
老眼が進んだ

等々 色々理由はありますが、本当に小説を読む量が減ったのは自分でもよろしくないなとは思いつつも「まっいっか!!」となってたわけですが 先月くらいからなぜかまた突然と読書欲が旺盛になってきて この1ヶ月で昨年読んだ小説の数を超しました笑

そんななか久々各出版社が夏に行う読書文庫夏フェアみたいなところから数冊かいつまんで買った本をこの連休中に読んでるんですが
その中の一冊に重松清の「ハレルヤ」を選んだんですが・・・

僕は30歳越したあたりに重松清の作品を読み始めました。

 僕は読書熱が盛り上がるときは集中してその作家ばかり読むというくせがあるんですが
重松清は本当にこの20年 中和剤みたいな形で数冊買うときに一冊入れるみたいな形で購入して 一人の作家に毒された読後感とかを浄化してもらったりとなぜか 決っして清涼感があったりとかっていう作風でもないし本来がルポライターの出身だからか描写の鋭さとかは本当息がつまることはあるんですがこの20年近く お世話になってる作風であり作品であり作家です。

サラリーマンの悲哀であったり家庭での父親、旦那のブルーズ、郷愁的な物語、目を背けられない死生観、愛する人たちとの別れ、少年時代への遺恨、田舎者の都会への視点、郷里に残す親への気持ち、いじめ、暴力、背負い続けていかなければならない過去と現在

と全てを読んだわけではないですが 僕が大人になってから何気に気づくとなんか横にある物語達でした。

ただ重松清という人の作風でひとつ腑におちないことがあったのです。年代的にはぼくより7.8歳上の年代のわりにRCサクセションや清志郎がでてこないことだったのです。重松清が学生時代だったころは間違いなくRCサクセションが大暴れしだしていていたはずだし
この作家は広島出身のはずだったから矢沢栄吉が出てきたことはあったけど

ただ作風にはいつも音楽が流れているんです、僕が感じるだけかもしれませんが エイチャン的なロックではなくRC的な感じがすごく読んでると聴こえてきてたんです。
でも僕の読書不足かもしれませんが重松清の小説にRCや清志郎がでてくる物語には出会ったことはありませんでした。

それが今回何気に手にとった「ハレルヤ」がどんぴしゃでした。
清志郎の葬儀から始まるこの物語は僕らの上の世代 RCをリアルタイムで見てきた人たちの目線と愛であふれていて
R&Bの御大たちへのリスペクトも良くて。

ついつい連休中の昼時に食事も忘れて読み漁ってしまいました。

重松清が清志郎を描いてくれたのは本当に嬉しかったしこの作品自体は発表されたのは10年近くまえなんだろうけど文庫でこうして出会えてよかったし RCの「トランジスタラジオ」はやはりというか当然の名曲っぷりを再認識したしだいです。

この2年近く置き去りにされた読書感をなんか自分自身の素の部分が取り戻そうとしているのかわかりませんが
風の強い今日のような休日にクーラーのきいた部屋でこんな作品を読めるよき時間がたくさんあるといいな〜と思いますです。

今日は広島に続き長崎原爆投下から76年 祈りを捧げます。
そして清志郎もうたった核なき世界へ、そして世界が掲げだしたその意志に背を向け続けている日本国政府に僕は納得できません。

話が・・・笑

そんなわけで老眼鏡を新調してまた良き小説に出会えますように。



posted by ありったけの世界 at 14:53| 東京 ☀| Comment(0) | 日記(日々随時更新中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月06日

今週土曜!!連休初日 ありったけの世界ライブ!!

明日ライブやります!!

76年前からそして今までの今日という日に祈りを捧げます。
平和ってやつをかみ締めてかみ締めてかみ締めまくっていきたいと思います。

全国でのコロナ感染拡大の中 気を引き締め、対策を怠らず ライブに臨みたいと思っています。

稲毛K'SDREAM

週末ダイナマイト25
ダットサントラック
2zee
ありったけの世界

OPEN 17:00 START 17:30 | adv\2,000+D doors\2,500+D
TICKET取扱/K'S DREAM

ありったけの世界の出番は2番目 18時からです。
俺たちの兄貴 ダットラの前 温めまくります!!


https://arittakenosekai.up.seesaa.net/image/F1AB7FD5-756B-468B-8ABD-882CBDCEB550-thumbnail2.jpeg
posted by ありったけの世界 at 21:26| 東京 ☁| Comment(0) | 日記(日々随時更新中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月04日

僕の戯言・・・もう一人の親父さん

僕です。ありったけの世界の僕です。

今年の7月ってのは自分の人生において本当に忘れられない7月になるだろうなと。
そんなひとつの出来事なんですが

7月31日に僕自身のもう一人の父、かみさんの親父さんである義理の父が旅立ちました。
本当によく晴れた昼間に お袋さん、かみさん、うちの次女、お兄さん夫婦に看取られながら 1年半の闘病生活を終えました。

僕は10分遅れて病室で親父さんに汗だくで会いました。所沢街道の白い狼と呼ばれる僕も我が家より山あいにある病院まではさすがにきつく
久々過去最高スピードでママチャリをぶっ飛ばしても間に合いませんでした。

「ゆうちゃん、そんな汗だくでよ〜 俺の臨終に なんだよ間に合わなかっただんべ〜」と親父さんに笑われてるみたいでした。笑

狭山丘陵をよく見渡せて、メットライフドームの白い屋根がよくみえる病院で親父さんは息をひきとりました。
本当に親父さんが大好きだった農作業をするのに最適な青い空が広がってる正午すぎでした。

義理の父との関係って人、夫婦それぞれあると思うんですが僕の場合、かみさんが末っ子長女であり僕よりも年が上ってこともあってか
「ゆうちゃんはうちの末っ子みたいなもんだんべ〜」などと本当に可愛がってもらいました。

思えば自分が23歳の春に かみさんと結婚させてもらう旨の挨拶に伺ったときも
まあそれまでまともな仕事もしてこなかったし、挨拶にきていったスーツも弟のを借りてと今よりも体重もずいぶんと軽く情けなさ全開の僕を
なんか寿司屋に連れて行ってくれて、その場で僕が結婚の申し込みの挨拶をする前に親父さんが少し体を横にしながら「秋には早く結婚式しちゃいなや〜」とあっけらかんと言い放ち。

かみさんも「お父さん!娘が嫁に行くのになんで〜そんなに軽いのよ〜笑」と

万事がいつもあっけらかんとしていていつも周囲をあたたかくしてくれる人でした。
そんな親父さんであったからか僕の本来の図々しさからかはなんともいえませんがかみさんの実家でもいつもくつろげて親父さんとそんなにたくさんしゃべるわけでもないけど 親父さんのマッサージチェアでくつろいだり 良い時間を過ごすことが多くて、親父さんの兄弟や親戚の方々からも「なんかムコさんみたいじゃないな〜」なんて皮肉を言われていたのか、呆れられていたのか 本当に気兼ねすることなく親父さんとの時間を過ごせました。

あっけらかんとした親父さんではあったけど地元で生き続けてきた人の中でも人望があり「良ちゃん、良ちゃん」ととても慕われていて
遊びに行ったときなどによく親父さんを頼って来訪者がよくきてました。

写真の腕前も市やサークルの賞などもよく取る腕前で僕も一台親父さんのお古のカメラをいただきました。
そして三味線の腕前もかなりのもんで何度かリサイタルに行ったもんです。

そして何より先述の通り元々がお百姓さんなんで野菜作りの腕前は本当に凄かったです。
僕自身野菜関係の仕事をしていて俗にいう高級野菜というものも口にはしてるしある程度の舌はもっていますが
親父さんの野菜は別格でした。かみさんが料理してくれた夕飯などを一口、口にするだけで親父さんの野菜とすぐにわかるくらい
味がちゃんとたつ野菜作りをする人でした。

以前親父さんに「市場に出荷しましょう!!」と「かなりの高値がつきますよ」とすすめたことがあったのですが
親父さんは「ゆうちゃん俺はお金はいいんだよ」と 「作るのが好きだし皆が食べてくれればそれでいいんだ〜ただ野良仕事が好きなんだ」と言ったときの少し照れたような顔をよく覚えてます。

それでも僕は「軒先販売しましょう!!話題になりますから!!この野菜は!」と食い下がりましたが親父さんは昼寝の時間でうたた寝してしまいました笑

一緒に土いじりをしたり木をきったり畑を耕したのも今となってはもっと一緒にやっとけば良かったなんて 後悔なんとか〜ってやつですね。

俺の故郷千葉を一緒に旅行したのもいい思い出です。
当日トイレに降り立って 親父さんがあわてて走ってくるから「どうしたんすか?」なんていったら
「扉あけたらおばちゃんがケツだしててよ〜まいったんだ〜」と
そんな思い出したら笑いがこみあげてくることがたくさんあります。

ここ数年は親父さんお袋さんとかみさんが歌舞伎鑑賞に夢中になり僕は歌舞伎は興味がないんでよく有楽町に銀座に運転手として一緒に行きました。皆が観劇している間 僕は映画を2本観たりと1年に数回の楽しみでした。

最初運転手で行ったとき親父さんとお袋さんがただの運転手なのに桁違いのお金を封筒に包んでわたしてきたんで
「それじゃこっちが申し訳ないし運転できやしませんよ」と言って返したら「気持ちだから」と手をひかないんで「じゃあ次回からは映画代と蕎麦代ください」と本来の図々しさ全開で笑

そうしてもらいここ5.6年ですかね 一年に2、3回よくご一緒したものです。楽しかったな〜

1年半前 お腹の調子が悪いと病院にいったら大腸がんが見つかりました、その検査の時にすい臓がんが発見され 86歳にしては本当によく長時間にわたる手術を乗り越え 経過をみていくという時間になりました。
身体もやせましたが声もしっかりしていて大好きな畑も少しずつやって三味線も鳴らしたり

ひとつ大好きな車の運転をあきらめ運転免許を返納するときは「あ〜あ〜」って言ってました。
本当にがんになるまでは本当に86歳とは信じ固いほどの元気さと若さがあり やはりその分周囲の人間、家族もやはりショックを隠せませんでした。

かみさんも高齢の父親とはいえやはり今までの元気さそしてこれから訪れる病との闘いに心を痛めていきました。
かみさんの心情はやはり近くにいる僕にも支えることをしようとしてもやはり心の張りを握ってあげることができないくらい疲労していきました。
心配する俺にかみさんは「今まで通りバンドも野球も呑みもやってて、そうじゃないと 余計苦しくなる」と言いました。
娘たちにも「今までどおりだよ」と

かみさんの心配するようにやはり親父さんのがんは進行していき抗がん剤治療に苦しみ体力も衰えていきました。
ただ体力も気力もある人なんで声はしっかりしていてやせ細ってしまった腕を回しながら「88歳まで生きれたら めちゃ高くて美味いもんを食いに行こうや」とソファーに腰かけて笑ってました。

あの場にいた僕でさえ 親父さんは来年の春までは大丈夫だと疑わなかったです。

ただやはりがんってのは本当にコンチクショーなスピードをあげますね。6月にはいり親父さんの体力はみるみる落ち、腫瘍マーカーの数値もあがり
横になることも多くなっていきました。床屋にいきたいという親父さんを連れて行ったときにはこんだけ苦しそうなのにこざっぱりにしたい親父さんのおしゃれさに感心したと同時に親父さんにはいつも「ゆうちゃんは髪が長いし時々に坊主になるし普通の髪型はしないのか?」といわれたことがありましたが笑
ただ一度オールバックにしたとき 「今まで見たゆうちゃんの髪型で一番いいわ」と言ってくれました。

足のむくみ、吐き気、呼吸の苦しさ 日に日にやはりきつそうになっていく親父さんは病院で主治医に自分の命の残りを聞きました。
「1年はもたない」が応えでしたが親父さんには「1年」ときこえたようでした。

ただ日々刻々と衰えていく自分の肉体を自分なりに悔しいながらも受け入れていくしかなかったんでしょうね。

6月のライブの帰りにかみさんに駅まで迎えにきてもらい車に乗り込むと「お父さんがゆうちゃんに記念品を贈りたいって言ってるから近々に選んで欲しいんだ」といわれました。
酔いが醒めました。「無理」って言いました。

どうせ親父さんのことだから俺が西武ライオンズのユニフォームなんていっても納得しないだろうし、かみさんが「バイクをゆうちゃんにって言ってたんだよ」と言われて 

返事にもこまっちゃたし俺はいいよとかみさんにいってしばらく間をあけていたら親父さんから電話がきて「ゆうちゃん選んだかい?」って
正直まいりましたね。
かみさんにはこれがいいかな?なんて話してたけど 親父さんに電話越しに「俺に記念品なんて贈るって言ったこと後悔するもん買わせていただきますよ」って言いました。

その4日後に買わせていただき 東京新盆に入ったんでお盆の挨拶がてらその記念品をみてもらいたくてもって行きました。
親父さん若干黄疸もでていて苦しそうにしていましたが僕がいただいた物を手にとって見せると本当にびっくりするくらいの笑顔で本当に久々あんな笑顔をみました。かみさんも本当に驚いて 自分は複雑な心境でこの記念品を買わせていただいたけど本当にこれにして良かったと思いました。

その後日に電話があり親父さん自身が病院に連れて行ってくれと、すぐさま車をとばしてかみさんの実家に行き病院にいきました。
親父さんの点滴中に病院から色々な説明、対処を受けました。
病院側から何があってもおかしくない状態だといわれました。

衰弱は進み、呼吸もきつくなっていきながらも時々お袋さんやかみさんと電話で軽いやりとりをしてました。
このコロナ禍なので病院での面会も厳しく ただ自分自身お袋さんやかみさんお兄さん夫婦だけでも面会はできないかと祈るばかりでした。

亡くなる2日まえからお袋さんの面会も許可がでてほんとに良かったです。

31日の昼前にかみさんから携帯に電話がなり仕事もおっぽり出して自転車でぶっとばしました。
次の日修理にだしていた自転車が予定より3日早く修理を終えて帰ってきました。この自転車なら臨終間に合えたのにな〜笑

親父さんが「ゆうちゃんは間がわるいかんな〜笑」と笑われてるみたいでした。

親父さんも自宅に3日間帰れてゆっくりと休んでいます。

火葬場まではマイクロバスで移動ですがお骨になった親父さんを運ぶのは自分の車になったんで
そりゃもう磨きまくりました笑
黒光りしてます。近所の人々から新車みたいですね〜といわれました笑  普段どんだけ汚いんだ?という話ですが笑

結婚して親父さんに初めてたのまれた仕事は結婚して半年くらいに親父さんのお袋さんがなくなり葬儀のとき火葬場までお坊さんをのせて走る車の運転でした。こりゃ大役だな〜なんて思ったけど 親父さんに頼りにしてもらえたことが嬉しかったことを覚えてます。

今回はその親父さんのお骨を運ぶってお努め、感慨深いもんです。

この27年間お世話になった親父さんに感謝をこめて精一杯見送りたいと思います。

この場をかりて
親父さんのことにかんして快くライブ、スタジオの都合を承諾してくれたダイちゃん、ひーさんに感謝します。

深いお心遣いをいただいた渡辺一男・有香ご夫妻には心より深く感謝してます。Yukaさんには親父さんの闘病中に憔悴してたかみさんにも優しくしてもらい数々のアドバイスをいただいたこと心より感謝してます。

そして昨日のお通夜の席に千葉からかけつけてくれた自分のお袋 弟 お袋に関してはかみさんのお袋さんを抱きしめてくれたこと
本当に感謝してます。

そしてかみさんの昔からの友人のちかちゃん、みほちゃん かみさんを抱きしめてくれてありがとう。


この長いブログを最後まで読んでくれてありがとうございました。
読んでもらいたい方が2名いますがその他の読んでいただいた方々にも感謝します。

そして87歳という人生を終えた 俺のもう一人の親父さんに深く深く感謝します。

よし!!最後見送りにいくぜ!!
俺の黒光りする車にのっけるぜ!!霊柩車よりピカピカだぜ!!笑









posted by ありったけの世界 at 06:04| 東京 ☀| Comment(0) | 日記(日々随時更新中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月30日

僕の戯言・・・2020~2021ありったけの世界の僕の苦い ひーさん加入前

 僕です。ありったけの世界の僕です。笑

本当に久々です。ブログ笑
今日4年やってきたツイッターを卒業しました。

ツイッター楽しかったです。楽しんでました。ただ色々と思うとこあったり、以前からフォローワーさんが200名になったら辞めようと思っていたのに4年も楽しみながらここまできてました。

ツイッターについてはいずれこのブログでも思うこと書いてみようと思います。

まだまだコロナの感染、万延 おさまらず今は東京オリンピック
この1年半 世の中の大変さと比例するように我々ありったけの世界も本当に紆余曲折、迷走、諸々本当にありました。

やはりケンジが脱退したあとトシキというダイちゃんとも共にバンドをやっていた威勢もキャラもたつ自分達より年若な青年がヘルプとして叩いてくれました
去年の今頃でした。ただ彼自身の生活もまだ色々模索している中、その最中でののバンド活動は困難になりました。同時に僕は前年にライブハウスで出会ったギタリストでありソロミュージシャンとしても活躍するロマンテイコエルジェットことりゅうちゃんととても濃い時間を過ごすようになっていました。

彼との時間は本当に男同士ではありますが恋をしているような時間でした。りゅうちゃんとのこともいずれブログに描きたいと思います。

彼と夜明け前の交差点というユニットを組んでライブ活動を始めました、同時にありったけの世界への加入も依頼しトシキのラストライブがりゅうちゃんのありったけデビューにもなりましたが、もうこのあたりから軋んでいた歯車が音をたてていくようにズレテいったんだと思います。

ネットのサイトで太鼓の募集をかけ始めたのもこの頃でした。
「ガッツがあり情緒のある方募集!!年齢不問!!」と

太鼓のいないまま3人でのライブを決行したりでメンバーがそれぞれすこしづつ疲労の色もみえてました。
僕自身はソロでのライブも徐々にいれていきなんとか歌える場所にしがみつければと思っていました。

そんな折 ドラムのヘルプを申し出てくれた男がいました。千葉在住のロックドラマーたけちゃんでした。
2週間後にひかえたライブに彼なりのアレンジと表現力で本当に懸命にありったけの世界のライブをヘルプしてくれました。
自分はこういったガッツある男が大好きだし本当に深く感謝しました。

ただライブ自体はかなりの酷評をうけました。僕は正直 かんけーねーって思ってました。
ただもうバンドはバラバラな状態でした。メンバーの連絡には反応はなし、もうバンドとして機能していない状態でした。

年が明けてりゅうちゃんから脱退の連絡、止める理由も止めれる根拠もないままお礼だけ言い、短い時間でしたが別れました。
そしてだいちゃんとは何かしっくりこないまま連絡もしなくなりました。

そんなとき たけちゃんからスタジオでセッションしようとの連絡がきてベーシストまで連れてきてくれて たけちゃんとなんとなく鳴らしてた
曲をスタジオで鳴らしたりととても良い時間でした。たけちゃんは「ゾノちゃんはバンドやらなきゃダメだよ、ソロやってて満足してちゃダメだ!!」って顔をテカテカにして熱く言ってくれました。

ただやはりリズム隊の相性っていうのがやはりあって生憎ダイちゃんとたけちゃんはちょいと違っててたけちゃんの加入はなくなりました。
俺自身このときはたけちゃんの熱さになんで寄れないんだ?ってダイちゃんを責める気持ちがなかったわけでは正直なかったとは言えません。

そうなってくると今まであんだけ時間を共にしてきたダイちゃんともだんだん疎遠になっていきこちらから連絡することもなくなり
自分のソロライブが増えていきました。

梅がちらほら咲きだしてはいたけど春になるにはまだ寒い2月の後半くらいでした。

ソロライブ時にも数人の親しい関係者の方々には「ありったけは終わりかもしれないす」なんて愚痴半分、本心半分でこぼれてしまってましたし
ケンジが辞めた時点で解散しときゃ良かったって思い始めていたのも事実です。

数名のミュージシャンから「ソロでバンドやるなら力貸すよ」なんてありがたい言葉もいただいたりして
クボゾノユウイチロウグループで!!なんて冗談までいただいたりしました
でもその名前だとマイケルシェンカーグループのMSGをもじってみるとKYGとなり空気読めないグループになるやん!!笑 と

サイトには募集をかけたままでしたが自分でももう太鼓はみつからないかな〜とか脱退前にりゅうちゃんが「ありったけは太鼓はみつからないんじゃないか?」と言った台詞がぐるぐると頭をめぐってました。

そんな折 だいちゃんから連絡がきました、「太鼓見つかるまで二人でもライブやらない?」と嬉しかったですね。
ライブやるのもなんかこの1年いつも軽く拒否したりしてた男からの連絡ですからね。

そうだよなそうだよな だいちゃん!!やっぱ俺たちありったけだよな!!って嬉しくて二人で野方のスタジオ入りました。

音出してちょっとしてから俺「おいおい!!」って ダイちゃんのベースがていをなしてないわけですよ
若い頃の俺なら漫画本などあったら投げつけてひっぱたいてますね(ヘルプでやってもらった友人のベースにそうした笑)

もう俺苦笑いやらなんだかで逆にダイちゃんがいとおしく見えてきました。
ただ初めてですね、ダイちゃんにあんなにダメだししたのは別れ際にも「そんなんじゃ良い太鼓きても逃げてくぞ!!毎日1時間練習しろよ」と
初めてですねダイちゃんにあんな風にいったのは。ダイちゃんは口を尖らせてましたが笑

そしてこの1週間後にあのメン募サイトに俺たちのひーさんから連絡が入るんですよ。
早い桜が咲きだしてた3月の終わりでした。

すいませんブログを描いてたら楽しくなってきました。
続きは近々に描きます。

この長々と描いたモヤモヤとした期間中
フォトグラファーのYukaさんには本当に色々サポートしてもらいました、あの苦しい期間を乗り切れたのもYukaさんがいつも俺のソロライブ等にいてくれたおかげでもあります。Yuka姐感謝してる!!

そして一緒に音を出すことはなくなったけど たけちゃんが懸命に俺のけつをひっぱたいてくれたことを深く感謝してます。新宿で昼間から呑んだ酒の味、つまみで顔をテカテカにしてた たけちゃんの笑顔はありったけで鳴らせてる今も凄く思い出してはにやけてしまいます。

そして稲毛K’Sのブッキングムードメーカーの世界のユイ様 本当にあの事務所で俺の愚痴そして嘆きをきいてくれたことそして俺を引っ張り出してくれたこと感謝してます。

そしてあの期間茅ヶ崎にトボトボとライブを観にいってロックバンドのワビサビをみせてくれた上に俺にあたたかい言葉をかけてくれた
Dr.ROBERTSのアキラさん 本当にありがとうございました。

はい、そんなわけで ツイッターやめて ブロガーに舞い戻ってブログをこうしてシコシコと描く俺はブロシコガー
以前に比べると閲覧数もかなり減ったであろうこのブログに誰が気づくだろう?愉快だ

究極のマスターベーションさ

続きは本当に近々に

にしてもあの苦かったあの期間 力をくれたのは千葉の人ばかりだ笑  俺のDNAも千葉だからかな?笑

はい、じゃあ







posted by ありったけの世界 at 23:33| 東京 ☁| Comment(0) | 日記(日々随時更新中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月20日

僕の戯言・・・ケンジ今までサンキュー!!

僕です。ありったけの世界の僕です。

ケンジから脱退の旨が入って数日経ちました。今日ツイッターで報告しました。バンド仲間やらから どうした?というラインなどをいただいておりますが
ケンジが選んだことでありますので僕から特に説明しなくてはいいと思いますが彼なりの苦渋の決断であったことは察してやってください。

僕もやはり引きとめたり打開策等提案しましたがケンジの気持ちは固まっていたし、脱退の旨を伝えてきた時点でもう彼を動かす事はできなかったんだと思います。

正直本当に残念ですしこんな女々しくパソコンに気持ちを文字にしてないとグニャ~となってしまいそうです。作家でもライターでもないのにこうして吐き出していないと本当にグニャ~となってしまいそうなんです笑

それにしてもケンジと知り合ってバンドやって12年間、本当に世話になりましたし、本当に奴の太鼓が好きでした。
まあ12年っていう年月も今振り返ってみると結構な年月ですね。本当。

12年前は自分も37歳で前やってたバンドもやめてしばらくメン募サイトなどをみてセッションしたりCANNON THE CIGARETTEのリーダーに拾ってもらって企画バンドやったり流れでCANNONで歌わせてもらったりしてました。CANNONにいたダイちゃんと音をだしたのもこの頃からですね。

ただ自分でバンドを組みたいたと思っていたところにケンジともう一人のギターの人がメンバー募集しているサイトにぶつかり連絡いれました。
たしか西荻窪のスタジオで初めて音をだしたと思います。ギターの人にはあまり興味がわかずとにかく僕が鳴らしだしたギターにケンジがすぐ飛びつくように絡んできたのを今でもよく覚えています。僕も本当に嬉しくなる太鼓の鳴りでした。

そのあと二人で酒飲んだのも覚えてます。最初の印象は「コイツ、ギャンブラーかな?」って感じでした。目つきも悪いし笑

その後もう一人ベースもいるって事で最初のベースであったノリとも会いました。大阪弁のノリとも音楽の好みなどもあっていて4人で音を鳴らそうなんてバンドができていく過程を踏みつつあった頃 スタジオのキャンセルの支払いの件でもう一人のギターの人が異論を唱えたのですがそれにケンジと
ノリが激高してその彼がバンドになる前のバンドを抜けることになりました。

3人でバンドをやっていくことになって音を重ねえたり曲を持ち寄ったりしました。そんなちょうど12年前の5月にケンジとノリと3人で歌舞伎町に呑みに行きバンド名を決める話になりました。僕は「ありったけ」をつけたいと思っていたのでそれは二人に伝えました。
その後をどうするかを考えながら僕はトイレで小便をしてるときに「世界」と浮かんだのでトイレから戻って二人に言ってありったけの世界と決まりました。そのころからケンジは刺身と酒をよく呑んでました。

それから9月に初めて下北沢の屋根裏でやってとバンドがバンドとしての活動が定まってくる過程を過ごしていました、当時のバンド仲間もでき始めてたし、ベースのノリが知り合いも多くそれなりにお客さんも今よりいたような気がします。

ただだんだんとお互いのプレイであったり、細かいことで衝突することが多くなりました。当時の話をケンジとしたとき 「つまらなかったし辞めたかった」って言ってました。
まあそんなバンドが上手くいくこともなくライブ本番中にステージで口げんかになりだんだんとライブの本数も減り曲も進まないということになり
究極が仲間のバンドの企画に渋ったベースのノリの代わりに当時8FLAGの雄三君にヘルプを頼んでライブを強行しました。

ベースのノリはそれを最後にバンドを辞めました。ケンジとどうしようか?って話をしました。
その時のことは色々ありったけに興味をもっていただいた方にはよく自慢げに話すんですがケンジがそのとき「演歌でもやりますよ!!やりましょうよ!!」って言ってくれたんですよね。本当に嬉しかったです。たしか武蔵境の居酒屋だったかなと思います。

それから雄三君、ダイちゃんとをサポートで迎えケンジと二人で曲を仕上げていきラインブも重ねていきました。
ケンジはダイちゃん雄三君のベースを本当に楽しんでいました。二人の全く違うプレイを嬉しそうに酒のみながら話していました。

その後ダイちゃんが正式にありったけの世界に加入してライブの数もどんどん増えていきました。ケンジの太鼓は本当に評価されたし俺も自慢だったし ケンジの酔っ払う姿に俺もダイちゃんも大笑いでそして色々なバンド仲間からも愛されました。

ケンジの酔っ払いは皆の和みでもありましたが一番被害をこうむったのは現ムスタングサリーのユキ嬢ではないでしょうか?
たいがい新宿JAMでの我々企画の「JAMってありったけ」時のケンジの酔い方は酷かったです。

それでも皆に微笑まれていたのはケンジの人徳ですね。

3人で色々な場所でライブもしたし、色々酒も呑んだし、スタジオも色々変わったし、何よりケンジもこの12年の間で生活も変わったしで
本当に12年間って改めて思い返すと凄い年月だなと思います。

その12年間 月に最低でも7、8回は会ってたわけですからね。思い出すことがこれからもっと色々増えてくると思います。

自分はいつも前をむいて吠えてギター鳴らしてるわけですからライブ時ケンジがどんな表情してるとかわからないのですが2014年に楽器店主催のライブで賞をいただいたことがあったのですがその時の映像がケンジに結構寄りがあってその時ケンジが叩きながら歌ってるのを見たとき驚きと感動を覚えました、最近ではフォトグファーのYUKAさんが撮影してくれるケンジの表情、成りを見るたびいつも自慢げな気持ちになってました。

そして映像デイレクターのオオコバ君が撮影してくれたケンジの寄りの映像なども楽しみの一つでした。

正直女々しくて申し訳ないんだけどケンジがいないってのは本当残念ですし何より本当に理解してくれていたんですね。

12年やってきて新しい曲もどんどんできてきたしその新しい曲に対するケンジ、ダイちゃんの理解力が半端なく
ライブができないこのコロナ禍の現況の中これが明けたらありったけはすぐGO!!してまた調子にのってやめる理由がないバンドが転がっていくもんだとばかり思っていました。

ケンジは本当に苦渋の決断だったと思うし、つらいのはケンジだと思います。

彼は俺みたいに口数も多くないし 彼のツイッターやブログでもその通り一言男なんで もう語ることもないと思う。

でも本当にケンジには感謝しています。面とむかって言えないし今更だし。

バンドから離れてしまうと会うことも少なくなるしケンジはケンジの生活があるからまた会う機会があったら 問いただしてみよう
「実は俺のこと嫌いだったか?」って

あいつ多分悪い目つきで「ですよ」って言うだろうな。

ケンジ在籍時のありったけを応援、支援していただいた皆様ありがとうございました!!
そしてケンジ、ケンジのご家族にご多幸あることを心よりお祈り申し上げます。

まだしばらくはこんな女々しい気分で日々を過ごすと思いますが表立ってこんこと言うのはこれでおしまいにします。
長文本当にすいません。


ケンジ 残念だ!!本当に!!
けどサンキュー!!本当にありがとう!!感謝してる!!


posted by ありったけの世界 at 22:30| 東京 🌁| Comment(0) | 日記(日々随時更新中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月06日

ライブ中止

ありったけの世界 4月、5月のライブ全10公演全て中止となりました。

残念ですが本当にこの現状を受け入れ今自分たちができることを受け入れこの憎きコロナ禍が収束、終息することを待ちます。

お世話になってるライブハウスの皆様のご苦労、ご苦難は察するに言葉もでませんがこの現状が明けてまた皆様のもとでライブが出来ることを本当に心より楽しみにしております。

そして微力ながら我々に出来ることを模索してみようと思います。

そしてほんのわずかでも我々ありったけの世界を応援していただいてる皆様と一日も早い再会を心より待ちわびております。
皆さま本当になんとかこの現状を無事乗り切ってください!!

会える日を踊れる日を楽しみにしております!!



                                              

posted by ありったけの世界 at 18:49| 東京 ☁| Comment(0) | 日記(日々随時更新中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月08日

3月のライブ

春が早そうででも本当に日本を世界を震撼させてるウイルスの影響が凄くてカオスな毎日ですが出来ることはやれることはやっていこうと思っております。

皆様もどうぞお身体にご自愛ください。

ありったけの世界は流行や世の中の動きと全くリンクしないバンドではありますが本当に本当の偶然でこの騒動の中珍しく一月ライブがないという
現メンバーになって9年初めての経験をしております。

良かったのか悪かったのかわかりませんが静かに現在の動向をみております。

今月は2本のライブをします。
3/18wed 荻窪CLUBDOCTOR
3/29sun稲毛K'SDREAM


ありったけの世界のメンバーも各々生活の環境が変わったりして春を迎えるわけですが楽しい春にしていきたいと思っております。

どうぞよろしくです!!
DD5612C8-A3B0-4076-9214-AE9C195A8BE4.jpeg17A84104-2ECA-4380-B961-2C89BFBAB902.jpeg9CCFE040-3295-4680-9B61-E865B404123C.jpeg
posted by ありったけの世界 at 18:44| 東京 🌁| Comment(0) | 日記(日々随時更新中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ありったけの世界 映像(you tube等)リンク集